無為無常

思い付いたまま適当なことを書き殴ります。あくまでも個人の考えであり間違ってることも多々あると思われます。

アドラー

『嫌われる勇気』

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

『幸せになる勇気』

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

 

この二つを読んだ。

内容は非常にためになり読んでよかった。ただ、『嫌われる勇気』で内容は完結してると言える。というより『幸せになる勇気』はだいたい繰り返しになっているほどで無理に読む必要は無いんじゃないかとも思う。

中身は一貫して人生は自己責任であり今現在の状況は自分で選んだ結果である。これの繰り返しであり非常に耳の痛い内容である。

個人心理学というだけありもはやこれは哲学でありこれを完遂できるのは超人ではないかと思う。

現にアドラー自身ができていなかったのではと思われることに<政治等の公憤は別である>がある。

アドラー心理学は個人心理学であり政治的な物でもその結果どう思うか?はあくまでも各個人それぞれの問題であるべきではないか?と思うからだ。

罪を憎んで人を憎まず、まさにこれを体現し殺人者であっても罪を償わせるという社会的な制裁以上は求めず当人に対してどう接するかはまた別であるはずだ。

にも関わらずアドラーは別としたのは戦争の影響だろうと思う。

これはもう凄惨な状況を目の当たりにしたら仕方がないし出来なくとも攻めるべきではない。懇ろアドラー自身も何だかんだで普通の人なんだなと安心さえする。

それ以外は本当にためになるしインターネットという無尽蔵に情報が手に入られる現代こそ必要なことではないかと思う。

ところでアドラーの思想を技術として説明してるものがある。禅だ。

無尽蔵に情報を手に入れられ、誰もが超人になることを強いられる今だからこそ必修として禅を学ばせる必要があるんじゃないかと思う。

自戒の意味も込めて本当にそう思う。