インターネットと幸福
インターネットの発達はパッと見ではとてもいい物である。
わからないことをすぐ調べられるし寂しいと感じたらすぐ人と繋がれるし何なら大したことない自分からとんでもなく凄い自分にさえもなれる。
ただ、それはまさしく禁断の果実だ。
わからないことを調べられると言うことは無限に情報があると言うことであり際限なく渇き続けていると言える。
行き止まりがないのだ。
そして行き止まりがなくて周りを見渡せば自分の立ち止まった所を軽々と飛び越えていく人たちがいる。つまり自分の無力感と向き合わねばならない。
そこで大抵の人は安易に先に行く者を攻撃するし後ろの者を蔑む。何故かと言えばそれが楽だからだ。
寂しいと人と繋がれるのも結局その場限りでしかない。そもそもネット上の人たちは会うどころか声も聞いたこともなく顔すら見たこともない人、つまり赤の他人だ。
そういう人たちに救いを求めても余計虚しくなるだけ、続ければ心の病気を招きかねない。
現実を受け入れられなければ心の病気は悪化するのは必然だし寂しいと言うのなら現実の世界で繋がれる人を探すべきだし既にいるならそういう人をより大切にすることだ。
そして一番大きいのはネットはどんな人でも受け入れてしまう。客観性を持たずどんどん狂って行き着く先は地獄だ。間違いない。
今その場にあるもので満足すると言う本が巷に溢れるのも当然である。インターネットがそれの対極に位置するものでいきなりの投入でみんなそれを理解できてない人が大半だからだ。
安易に荒らしに走るのもそうだしそれを批判するのも結局のところ大差ない。
インターネットとの付き合い方という物をもっと考えていかねばならない。