そこにいるということ
人は本来ただ、そこにいるだけで価値はある。
そこに人からの反応による思い込みというものによりそれを否定していくことになる。
それが本来のあり方であるしアドラーもそう言っている。それは正しいだろう。
ただ、産業革命により全ての人が雇用主か労働者になるようになった。
仕事というのは対価が発生するしそれを得る関係は仕事をするからそこにいていいという本来の生き方とは違う打算による関係になってしまった。
○○できなきゃダメだという自己否定的な思い込みは広がるし容赦ない競争社会になるのは必然だ。
さらにインターネットは目に見える数字という形でそれを助長することになる。イイネしかり訪問者しかり。あるいはコメントもそうだ。
思い込みは執着と言っていい。執着するということはそれだけ本来使えるスペースを削ることだ。
リスクを知らず突き進むバカが強いのは当然だ。こうなったら嫌だ、ダメかもしれない、できなきゃどうしようという不安という物を全部前に進む推進力に使えるからだ。
そうやって考えると適材適所で一つに特化した人間を複数用意して尚且つそれを円滑に回せる人がいるというのが理想な形になるのだろうか?
何にせよ最終的には人を信頼して任せるということが重要になる。
人との関係は鏡のような物なのでやはり自信を持つということが大事になる。
書いててだんだんしっちゃかめっちゃかになって纏まりが欠けてきたが自分自身と向き合うしかないし自分の心の靄を払うのは自分にしかできない。
マインドフルネスが持て囃されるのは当然だしそこをさらに突き進めて禅で自分自身との対話をして思い込みをなくしていくしかない。
インターネットはそう考えるとそれの対極に位置すると言っていい。社会が幼稚化していくのも当然じゃないだろうか。
とりあえずは禅とまではいかずとも深呼吸をして脳に血を巡らすぐらいの習慣はつけるべきじゃないだろうか。