見たもの
蟻編のみだけど。
当時は物凄い絶望感とそれ以上に連載いつだ!という気持ちが強かった。
まぁ、精神不安定そうだとは思うし読んでてもマンガを描くことには思い入れは無さそうとは。
りは頑張ってるというか楽しんでそう。
護衛軍4人にして一人あっさりにした方が~なんて話をネットで見たけどそれをしたらしたでちょっとなぁとなりそうだしこれで正解な気がする。
よくこんな話を描いて綺麗に纏まるなぁと実に関心。で、続きは?
前作見てないけど楽しめた。
障害は大変だけどやはり色眼鏡では見ちゃうけど軽度程度でん?って程度ならまぁ……
結局、責任者次第かと
また一気にラノベっぽい話に引き戻したけどいかんせん話が地味。
視覚化するだけで面白い。
それだけ目の情報って偉大だとわかる。
だからこそグラフには気を付けたい。
前提となる情報がしっかり入ってる前提で書かれた本って感じで非常に難解。
当然ながら理解しきれないので概要を知った程度。
この年代で書かれたと考えたらなかなか凄い。
ただ、対策はほとんど中身がない。
とりあえず心は減算式で何かに執着したらそれだけ目減りすると思っとけばいいかなとかって理解。
24
24のシーズン7を見た。
前に1~6と7の途中までは見たので今回7のはじめから。
面白いのは確かに面白い。けど見ていても作り手の限界というか終わりにしたいという気持ちが透けてしまっている。
まずは事件そのものが大きすぎる。
テロを相手にする都合もあるが話を大きくしすぎというかインパクト重視で大きくしていった結果後に引けなくなった感が強い。
大衆が求めてるのはこんなショボいのじゃなくてもっと派手なさ~という言葉が透けてきそうなほど。
今回の話は特にもう終わらせるという意識でやったのだなと思うのはCTUが解体してるのに引っ張り出されるビルとクロエもそうだしトニーが実は生きてました!というのもそう。
ここまであからさまに組織は壊滅して人もいなくてできませんよ!とお膳立てしたのに続けさせるというのはなんとも。
ビルをしっかり殺したのもFBIメンバーに多大な犠牲出したのももう作らねーからな!という意思を感じる。
本来はラストでジャックも殺したかったんじゃ?と思わせる。ただ、大人の都合につきそれは勘弁願いたいということで生かされた感が。
まさに海外ドラマの流行ったら骨の髄までしゃぶり尽くすという製作体制の悪癖が出たという印象。
こういうのはもうちょっと見たいけど終わりかぁぐらいがちょうどいいとつくづく思う。
脚本家も新しい物にチャレンジできるしやりたければ忘れた頃に特番か続編と程よくやることでモチベーションも保てる。
せめて毎年ではなく2、3年開ければまた違うものができたんじゃないかなと。そもそものコンセプトに無理があったのは間違いないけど。
組織VSテロでチームを売りにしてもっとジャック意外も活躍してたらまた違う物になったんじゃないだろうか。
キーファーが続編の話を明確に否定したときのアメコミのヒーローになってしまうというのは的を射ているけど既に手遅れじゃないかと。
そこにいるということ
人は本来ただ、そこにいるだけで価値はある。
そこに人からの反応による思い込みというものによりそれを否定していくことになる。
それが本来のあり方であるしアドラーもそう言っている。それは正しいだろう。
ただ、産業革命により全ての人が雇用主か労働者になるようになった。
仕事というのは対価が発生するしそれを得る関係は仕事をするからそこにいていいという本来の生き方とは違う打算による関係になってしまった。
○○できなきゃダメだという自己否定的な思い込みは広がるし容赦ない競争社会になるのは必然だ。
さらにインターネットは目に見える数字という形でそれを助長することになる。イイネしかり訪問者しかり。あるいはコメントもそうだ。
思い込みは執着と言っていい。執着するということはそれだけ本来使えるスペースを削ることだ。
リスクを知らず突き進むバカが強いのは当然だ。こうなったら嫌だ、ダメかもしれない、できなきゃどうしようという不安という物を全部前に進む推進力に使えるからだ。
そうやって考えると適材適所で一つに特化した人間を複数用意して尚且つそれを円滑に回せる人がいるというのが理想な形になるのだろうか?
何にせよ最終的には人を信頼して任せるということが重要になる。
人との関係は鏡のような物なのでやはり自信を持つということが大事になる。
書いててだんだんしっちゃかめっちゃかになって纏まりが欠けてきたが自分自身と向き合うしかないし自分の心の靄を払うのは自分にしかできない。
マインドフルネスが持て囃されるのは当然だしそこをさらに突き進めて禅で自分自身との対話をして思い込みをなくしていくしかない。
インターネットはそう考えるとそれの対極に位置すると言っていい。社会が幼稚化していくのも当然じゃないだろうか。
とりあえずは禅とまではいかずとも深呼吸をして脳に血を巡らすぐらいの習慣はつけるべきじゃないだろうか。
ファフナー5
9、10話目の感想。あとは8話の書き忘れも。
話としてわかりやすくキャラを動かしやすい話なのもあって珍しく主人公が目立っている。
8話で初めて同化するといなくなるということがわかるけどいきなりなのと防護服の中の人だけがいなくなったのでどういうことなのかよくわからない。
これは冲方の明確な説明不足だろう。多分同化されたらいなくなる、としか説明がなかったのではないだろうか?
それじゃ、どうにかして話を作ってと言われても曖昧な感じにしかできない。
前もって知っていたらもっと違う方法は十分できた!と脚本家の声が聞こえてきそう。
真矢と溝口の逃走続き→甲洋救出→同化→日常と大雑把な流れはこんなだけど大分テンポが遅いと感じるのは続編の情報量に慣れてるのもあるけどやはり密度が薄い。
今やったら島でのことは一話でまとまるし甲洋の見舞い~一騎脱島は一話になりそう。
なので前フリにする必要あるのかな?ということまで一週間待たされていることに。主に里奈との会話だけど。
主人公周りは仲間が死んで何で!?と詰め寄るのはわかるけどそれ以外は非常に曖昧。
学校でのことを一騎が知らないのとそもそも視聴者が島を出たいキャラというのを知らないため。
なのでどうしても何でお前は出ていった?と言わざるを得ない。もう少し主人公に時間を割いて混乱してる様を描くべきかなと。
一応、この後ではっきりと出た理由が明かされるけどここまでの話ではそこまで思い詰めてるとは思えないような話に。
見たもの
大阪坂にまつわる怪談短編集。
あまり怖さはなく専らミステリー畑の作者がこんなものも書けるんだと物珍しく見るといい感じの本。
大阪の土地は全くわからないのでその辺りも損をした気がする。わかったらもう少し楽しかったかなぁという程度ではあるけど。
一番のお気に入りは猫が出てくる話。
化け猫として怪談の常連だけありわりと書きやすかったのかなと思われる。
逆に絵の話は面白かったけどあぁ、ミステリーにいっちゃったのねとがっかりな感じ。面白かったけども。
前二巻を前振りに人間ドラマを書いた物として面白かった。
ただ、これはもうラノベである必要性がなく作中の異能も大分影を潜めてほとんど意味のないものに。
ホントにもう何でラノベ?と言っていい内容。
作中さまざまな人間を分類して書かれているがまさにという感じで思わず膝を叩きたくなる感じ。
哲学的にはわからなくもないけどイマイチと言ったところ。
作中の哲学は自分のやれそうなもので信じたいものを信じればいいというのは目から鱗というかホントに無理はする必要ないなと実感。
個人的にはそれがわかっただけでも十分かな。
江戸時代の生活を骨から分析ということだけど話が大分とっ散らかって少々纏まりに欠ける。
それでも勉強にはなったけどこれだけじゃまだまだ弱い。是非他の物も読みたいところ。
昭和30年代の話を小学生の女の子の視点で書かれているので全体的にほんわかとして優しい話に。
お姉ちゃんの特殊な力に純粋に憧れたり秘密も流されて話しちゃったりとずいぶんとリアルに書かれている。
一応、ミステリーみたいな感じではあるけど透視能力ということもありその辺りは本当にあっさりとしている。
お姉ちゃんの優しさが胸に染みる。
全く前情報もなく読んだので当初、話の繋がりが全く見えないからこれは実は短編集?と思いつつ読むことに。
全く繋がりが見えなかった物がパズルみたいにはまっていく様は圧巻の一言。
タイトルもまさにこれ以外にあり得ない!というはまりよう。
人を殺してしまうのはともかく、保身に走る様も人間だし母性を発揮するのも実に人間らしい。
最後の一家離散という結末は物悲しく正直、そこまでやるのかと若干引いてしまった感がある。実に素晴らしい読書体験だった。
サイコホラー6編、全てがしっかりと話が立っていて飽きることがなかった。
どれも実によくできていて引き込まれた上思わずあぁ……と目を覆いたくなるできに。
特に後ろ二作はこの話の続きが実に気になるものになっている。
まさに夏にぴったりの一冊と言った感じ。
ファフナー4
7、8話目の感想。
だいたいこの辺りから無理な軌道修正を図って落ち着いてきた感じに。
なので話として見れる物となっている。
ただ、それでもやはりキャラと話の全容が掴めていないため話の端々に説明不足な所が多々見られる。
また、脚本家としての引き出しの量の少なさが露呈してもいて赤紙の時と同じように犬の引き取り先を巡り各家を訪問してしまっている。そのため話としてくどくなっている。
別のアーカディアンプロジェクトが~と話のフリとして出てくるがそもそもそれ以外の部分でも見ている側は疑問が多くそこに無理に行く理由が物語を最後まで見てもわからない感じに。
一応、世界が滅んでと説明があるにはあるがやはりある程度までは説明しなければついていけない。
後は今だから言えることとして全体的にスカスカな内容なためドラマCD辺りの部分も全部入るんじゃ?という疑問が付き纏う。
後々追加された部分もあるだろうし一概に言えないが。
何にせよキャラ付けとして翔子は完全に出遅れ甲洋が辛うじて間に合ったという印象で一騎に関しては全く掴めない。
この辺りの話を見ても主人公を抜いて話を作っても問題ないような形になってしまっているのはかなり問題ではないだろうか?
視聴者の目線
ファフナーにおいて主人公一騎と総士の間のキャラになるのは甲洋、カノン、操だ。
この三人は極端な考えをする主人公二人の状況を視聴者の目線で伝える役割になっているのではないだろうか?
そのため、甲洋は一騎のもう一人の親友というポジションになり積極的に話さない一騎に質問をして話をさせるし翔子というヒロインにアプローチもかける。
ただ、視聴者目線のキャラであるためヒロインを守るために戦うことはできず一騎に守ってくれと頼むことしかできない。
そしてそれが果たせなかった一騎のことを許すことができず激しく責め立てる。
他にもフェストゥムが攻めてきた時に素直に怯えたり戦う一騎を労ったりとこれはまさに視聴者の目線であり分かりやすく伝えていると言える。
ただ、脚本家がしっかりと意図を把握することができなかったために肝心なところで見ているだけで声すらかけないという描き方をしたためにストーリーにおいてドラマを作り出せなかった。
そこから見ると甲洋の同化を経て一騎が総士の考えが理解できずに島を飛び出すというのは視聴者自身の混乱を表すしそれに変わる形でカノンが別の視聴者の目線であるカノンが登場することになる。
そしてカノンは人類軍側の視点での視聴者であり再び甲洋が出てくると同化されたことによりフェストゥムの目線となりわかりやすくフェストゥムの変化を表すことになる。
こうしてみると実によく考えて物語を作っていてパズルを作る感覚で創作してるんじゃないかなと思われる。
物語の書き方というのは人によって本当にバラバラだ。