ファフナー8
18~20話目の感想。
17話目までが一人称わたしの物語でありその締め括りとして一騎がカノンと対話して終わったことによりここから二人称であるあなたの物語へと変化している。
その結果は話の節々での変化で現れている。
総士が仲間に混じっていることやカノンが一騎へとはっきり意見を言うことや一騎と真矢が親ときちんと向き合うという形で。
何よりも大きいのは一騎がきちんと相手と向き合うことを決めたことにより親である総士と真矢から自立したことにより真矢がファフナーに乗り真矢の物語が始まったことだ。
そして人と向き合う話になったことで普通の人を表現している健児と咲良と衛の話も動き出すことになる。
視聴者の視線を表すカノンと甲洋の変化により対話の相手もはっきりと変化しているというのを表している。
こうしてみるとファフナーが普通の物語でないものだったのがようやく普通の物語になったとわかる。
それを人にプロットを渡して作れでは無茶もいいとこだろう。
ファフナー・私からあなたへ
17話目まで見返したのでそこまでの感想を。
まず、事前知識として冲方の「SFは第一人称(わたし)、第二人称(あなた)、第三人称(みんな)と来てさらに第四人称(人類)があるのを教えてくれる」というのを頭に入れておく必要がある。
その上で前日譚であるright of leftがまず、フェストゥムが第一人称のわたしを手に入れる物語でありその結果として代謝能力を手に入れた話であると考えるとファフナーシリーズがフェストゥムから始まった物語であるとわかる。
そのため総士(フェストゥム)と一騎(人類)は全く会話もなくだいたいが総士の自問自答である。
そしてその自問自答の結果本編へ行き総士から一騎へと対話を試みることになる。
前半は一騎(人類)がわたしを手に入れる話ということになるが一騎のことがしっかりと書けなかった結果、影の薄い必要な情報すら視聴者に伝えていない人物となってしまった。
本来、書くべきことを書いていればカノンを通して視聴者に人類軍とはどういう物かが伝わるはずであったし命令に従うカノンが思わず漏らした一騎への疑問は総士へ思わず疑問を口にした一騎と重なり一騎がなりたくない!と島を出た先がまさになりたくない姿しかなかった世界ともっと話が広がり一騎の行動の理由がわかりやすいものになるはずだったし島に戻る理由も非常に納得のいくものになっていたはずだ。
今の状態でもわかるにはわかるけど何とも弱い。本当ならもっとも盛り上がったろうと思えてならない。
そしてその上でカノンとの自爆阻止のための対話が映えるはずであったし思わず最低だお前!と口に出したのも納得のいくものと視聴者は腑に落ちるはずであった。
一騎の自問自答により第一人称から第二人称へ移行したことによりカノンと対話というのも納得だしカノンは視聴者の今までの話の代弁となる。
そこからいくと自問自答の末に物語全てが変化してみんな選び直させたのもまさにここから話は変わります!とアナウンスと言える。
フェストゥム自身もイドゥンとミョルニアを通して自問自答しているし遠見千鶴も刈谷との会話は自問自答と言える。
ファフナー前半はまさに第一人称の話で真矢は母親という役割に徹して父親と子どもの仲裁に回っていたのも納得の話。
こうしてみると改めて一期のリメイクをしてほしくなるけど多分ないだろうなぁ。
そしてbeyondがフェストゥムの話になるのも一旦終わらせるに当たってフェストゥムに戻す必要があったからとわかる。
見たもの
それなりに面白かったけど全体的にいまいち。
まず、何となく話が読めてしまったのとお使いでページの水増し感が強い感じで。
主人公はそれなりに葛藤するけどそれなり止まりというか。
面白いというより興味深いと言った環視。
教養が足りなかったため話に入り込めなかった。
ドラキュラは何て言うか肩透かしというか。
全体的に無難にまとまった感が。
ファフナー7
13、14話目。
ここから本格的に冲方の脚本に。
目に見えてキャラの心情が描かれることで今までのわかりにくかったところが明確になっている。
島の話ということで真矢と総士にスポットが辺り他は必要最低限という徹底ぶり。むしろ今までが時間を割きすぎという。
ここで真矢と翔子の話をしっかりと話すことにより前半の不足も補うけど多分これのせいで映像の力を見誤った部分もある。不馴れなのももちろんあるけど。
そして真矢がヒロインということで一騎の心配とみんなの勝手な物言いに怒るけどそれだけじゃなく総士にもしっかりと物申すことにより主人公が一騎だけじゃなく総士もだとわかる。
よりわかりやすく言うなら真矢は母親の役割であり総士は父親だ。
父親として子どもである一騎の越えるべき存在であるし母親として子どもを守っている。
そして物語当初から総士と真矢は本音をそれなりにぶつけ合っているが一騎は話すことがなかった。
これがはっきりとした問題点だ。
ここをもっとはっきりさせていなくなりたかったり戦闘中だけは自分の存在を感じられたりと言った部分を描いていれば話としてしっかり盛り上がったろうと思える。
インターネットと日本の滅び
現状、インターネットの発達にともない視野は物凄く広がった。これは明確なメリットだ。
ただ、それにともないその情報を使う人はそれに見合う成長ができていない。
そのため、自分の力以上の物を求めてしまう。
そうなると自分に見合った力以上の情報を求めるということは自分が力の足りない無能だという事実を突き付けられることになる。
しかも横をみたらそのハードルを飛び越えている人がいるのだ。
そうなると努力して乗り越えようとするがいつかは立ち止まることになる。
その立ち止まった時に人は無能のままでは精神的安定は得られないので何かにぶつけようとするだろう。
ぶつけたものは当然対応することになるし対応したのをみたらさらに下の者は真似をする。
その行き着く先は洗練とはほど遠いクズばかりだろう。
精神的に弱い自分を受け入れられない者ほどそういう声は大きくなる。これでは成長は見込めない。
今も大分劣化は進んでいるがま大丈夫。ただ、この先、伝統文化の分野までこういう文句をつけ対応するようになればそれこそ日本が壊滅的に滅びを迎える時だと思う。
真面目に必修科目として禅を取り入れ自分と向き合う強さを国民全てにつけなければどうにもならないだろう。
ファフナーの1期前半を見返して
今回見返したことで3話まではもう擁護しようのないレベルでひどい内容となっている。
うろ覚えだか初回は2話まとめて放送だったと思われるから冲方は初回放送を見て慌てて突っ込みをいれたのではないだろうか?
ただ、諸々の都合により3話は話の修正は無理で4話目から詳細なプロットに沿った話になっていると思われる。
ただ、3話までにやっておくべきことを4話に持ってきたことにより一騎、翔子、甲洋の話に割く時間が残っていなかったため翔子は視聴者にどういう子なのかわからないまま自爆で退場というなんだったの?と言わざるをを得ない結果に。
甲洋はかろうじて所々で心情を呟いていたため理解できなくもないという結果に。
一騎も若干余裕があったので少しは理解できるけど唐突な感じが否めない。
こうして並べると非常に惜しい。
というより脚本家がおとなしい子を描くことができなかったのだと理解できる。プロとしてどうなの?と思うけど。
神根島の辺りは細かい設定の不足と尺の都合によりわかるようなそうでないような話に。これはもう脚本家の問題というか話作りとして原案、原作と脚本を別の人が担当した結果なので誰がという問題ではない。
以上を踏まえてカノンが一騎に何で攻撃しなかった臆病者と素直に心情を吐露したのは本来一騎も総士にしなければならなかった行動とわかる。
一騎に対応するキャラがカノンとわかるしもしも総士の言いなりでやり続けたらなるかもしれなかった一騎ということだ。
それを踏まえて生と死の循環を越えた永遠の戦士になった一騎が心を同化されるとどうなるかが何となくわかることに。
ファフナー6
11、12話目の感想。
話として非常に分かりやすい。
11話目の頭に一騎と刈谷のやり取りがあることで一騎の心情がわかる。
ということはやはり一騎の心情の積み重ねをしていないことが原因とわかる。
後半からカノンと道夫が登場ということで話に無理がなく進んでいる。
12話は島がメインで一騎がいなくなったことによるそれぞれの変化が描かれることに。
変成意識の説明がここでされることで翔子と甲洋の変化の理由もわかることに。
ただし、それは何回か見直してあぁそうね。と話の筋が見えていればこそ言えることでやっぱり初見は戦闘で気が高ぶってる程度にしか思わなかった覚えが。
ここら辺は一騎と総士がそれぞれ心情を素直に漏らしてることで不安定な状態を表しているのがわかる。特に総士は顕著で司令に本音を言ったり真矢に怒ったり。
ただ、真矢自身も周りを見ているしかないのに容赦なく変わる状況についていけてなく余裕がなく総士の言葉も届かない。
そして何回聞いても心に突き刺さるのは
「そうやって機械で相手の心を覗いてあなたは一体一騎君の何がわかっているの」
日常での会話の大事さをストレートに伝えてくる素晴らしすぎて泣きたくなる台詞。
カノンの話はまた別でまとめて書きます。